福岡高等裁判所 昭和23年(ネ)60号 判決 1949年6月27日
控訴人 原告 森山唯吉
訴訟代理人 渡辺隆治
被控訴人 被告 百田弘子 外四名
訴訟代理人 松岡良俊
主文
本件控訴はこれを棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人等は控訴人に対し、別府市大字別府字南町下百十七番地の四家屋番号南下百八番木造瓦葺二階建店舗一棟建坪十六坪外二階十六坪五合を明渡し、且つ金七万六千七百十六円及び昭和二十二年二月十九日以降明渡に至る迄の間一日金八百六十二円の割合による金員の支拂をせよ、もし右金員の請求が理由のないときは、被控訴人等は控訴人に対し昭和二十一年十一月二十三日以降昭和二十二年八月三十一日迄は月金五十三円同年九月一日以降昭和二十三年十月十日迄は月金百三十二円五十銭同年十月十一日以降明渡に至る迄は月金三百三十一円二十五銭の各割合による金員の支拂をせよ、訴訟要用は第一、二審共被控訴人等の負担とする。」との判決並びに家屋明渡の部分につき担保を條件とする仮執行の宣言を求め、被控訴人等代理人は控訴棄却の判決並びに担保を條件とする仮執行免脱の宣言を求めた。
当事者双方の事実上の陳述は、控訴代理人において「控訴人は若年にして上海に渡り刻苦の末中支貿易株式会社を設立してその社長となり業界に重きをなしていたが、今次終戦によつて一切を失ひ、昭和二十一年四月頃家族及び多数の旧社員等と共に別府市に引揚げたのである。ともかく右のように引揚げはしたものの、控訴人としては日本に何等の資産もまた生活の根拠もないこととて、ここに何等かの窮状打開の途を講じ、家族の生計をたてると共に旧社員を救済するの必要に迫られていたのであつた。それにつけては上海における多年の経驗を生かし、同種営業を起こすにしかずと考え、そのための店舗を物色中世話する人があつてようやく昭和二十一年九月十三日本件家屋を買入れることができ、その間妻ラクヱの登記名義を経て昭和二十三年二月七日取得登記を爲した。右家屋は別府市商店街の中心に位置し、絶好の地の利を占めているといえる。控訴人がこれを入手するについては自ら借金をしてその資金を調達したばかりでなく旧社員等の零細なしかし貴重な醵金の集積に負うところが少くなかつた。なお売主の訴外大平角太は控訴人の意を体し、当時の本件家屋の賃借人であつた野口徳次郎に対し先ず買取り方を求め、同人にその意思のないことを確めているのである。これよりさき控訴人は別府市に引揚げ直後妻子二人と共に、郊外に近い同市下野口所在の国実茂喜方二階二室を借受け一応居を定め得ていたものの、ここは控訴人の目指す営業には適せずただその日の雨露をしのぐに事欠かぬという程度のものであつた。のみならず右国実方の二階二室の賃借は、当初期間三箇月という一時的の約定のものでもあつたので、控訴人としては一日も早く本件家屋に移り住まなければならなかつたのである。それ故に、本件家屋の現住者であつた被控訴人等の被相続人百田義晴に対し、同居でも甘受する旨の申出をしたのであつたが、これとて事もなく拒絶されたのである。その後昭和二十三年十一月八日ついに右國実から賃借二階二室の明渡につき最後的ともいうべき通告を受けたし、且つ他の同居者の所爲に関し風紀上堪え難いほどのものがあつたりしたので、昭和二十四年四月中控訴人一家は一時的の約定で現住所の別府市浜町所在の長家の一戸に引越したのであつた。この家屋とて、その場所柄といい、また構造からいつて営業には全く適しないのである。控訴人が本件家屋を必要とする程度は、日子の経過と共にますます加重されてきているのである。被控訴人等の被相続人、百田義晴が本件家屋に居住するに至つたのは、同人が直接所有者の大平角太から賃借したによるものではない。それは賃借人野口徳次郎から転借したものであり、野口の右転貸については大平の承諾はないのである。大体大平としては転貸の事実そのものを知らなかつたのである。これを知るに至つたのは、財産税を納めるため本件家屋を手放すことを思立ち、控訴人に売渡した直前の昭和二十一年八、九月頃本件家屋の使用者であると信じていた賃借人の前記野口に対してその買取り方を求め、同人にその意思のないことが判明したので『それでは控訴人に買取つてもらうから明渡してほしい。』と話を変えたのに対し、野口において『実は百田義晴が本件家屋を使つているのであるが、同人一家の移転先がないからそれは困る。』との意外な返答があつたからである。大平がそれ迄それを知らなかつたというのには理由がある。すなわち右野口は本件家屋を借受けて以来、同家屋で『ありたや』という屋号をかかげ陶磁器商を経営していたが、昭和十六年六、七月頃近くの同市中浜通(別名日の出町)に大きい店舗を買受け、同様『ありたや』という看板をかかげて同商売を始めたので、大平において本件家屋は不要になつたものと思いその明渡を求めたのに対し、野口の言分は『本件家屋も自分の店舗として引続き使用するから返えせない。』とのことだつたし、また家賃帳の名義の書替えを求められたこともなかつたしするから、その時以後本件家屋の使用者が右百田義晴に変つたものとは思いようもなかつたのである。もつとも右義晴が本件家屋の店舗におり、また時には家賃を持つてきたこともあつたが大平においては同人を野口の番頭みたいな雇人と思い込んでいたのであつた。野口が百田義晴に対し本件家屋を転貸するについて大平がこれを承諾したなどとのことは、ねつからあり得ることではないのである。されば大平がまた登記名義の同人に存した昭和二十一年十一月二十一日、無断転貸を理由として野口に対して爲した本件家屋賃貸借の解除は、もとより有効であるといわなければならない。仮りに右解除が有効でないにしても大平と野口間の賃貸借は期間を十年として昭和二年八月二十四日締結され、右期間満了当時はまだ別府市において借家法の適用がなく從つて更新後の賃貸借は期間の定めのないものであるから、控訴人がその名義に登記した当日の昭和二十三年二月七日(本件控訴提起の日でもある。)控訴人から野口及び百田義晴に対して爲した解約の申入によつて爾後六箇月の解約期間経過し、被控訴人等の被相続人百田義晴の本件家屋占有についての正当権原は既に消滅し、控訴人に対しその明渡義務のあることは同様である。解約についての正当の事由は控訴人が自ら本件家屋を使用する必要のあることにつき述べた前記事情で十分であろう。被控訴人等が昭和二十三年十月二十一日右義晴の死亡によりその相続をした事実は認める。義晴の長男である被控訴人百田晴幸が亡父のあとを継ぎ本件家屋で陶磁器商を経営してゆく意向であるとの事実はこれを否認する。被控訴人等は義晴死亡後の今日、本件家屋を自ら使用する意思をもつていない。こういうのには十分の理由がある。百田義晴は前記野口徳次郎の甥であり、本件家屋を中にはさみその両側の建物で百貨店を経営している訴外中村武雄は右徳次郎の長男野口喜市といわゆる親友である。その中村が控訴人に対し執拗に本件家屋の売渡方を求めているのは、その経営している百貨店建物の中間に介在して邪魔である本件家屋を手に入れて百貨店営業をそこに拡張したい意向からであり、そのことについては右喜市を通じ被控訴人等と事前に十分の了解があるものと思われるふしがあるからである。また喜市は本件家屋から去るべき被控訴人等を受入れて世話をするだけの十分の建物の余裕を持ち、且つ経済力も備えているのである。このことは控訴人が本件家屋を必要とする程度はのつぴきならないものであるのに反し、被控訴人等にはその必要はなく、本件家屋を明渡しても、その居住にも生活にもうれいはないものといえるわけである。なお、控訴人は右百田義晴及びその相続人の被控訴人等が本件家屋を明渡さないその不法行爲もしくは義務不履行によつて、控訴人が目指した営業を本件家屋で始めることができていたならば收得し得たであろう一日八百六十二円(日用品食料品文房具等の一日における売上げ純益)の利益を失い、このことは、少くとも控訴人が原審で請求を拡張して家屋明渡に加え損害賠償の請求を申立てた昭和二十二年二月十八日の口頭弁論期日以後においては、当時の訴訟相手方義晴及びその後の被控訴人等において、これを予見し、または予見し得べかりしことであるのである。仮りに右趣旨の損害賠償の請求が理由のないものとしても、家賃相当金額についての損害賠償の請求は当然であろう。本件家屋の家賃は昭和二十二年八月末日迄は約定の月金五十三円、それ以降昭和二十三年十月十日迄は増額公認の二倍半金百三十二円五十銭、それ以降は同様二倍半の金三百三十一円二十五銭である。よつて被控訴人等に対し本件家屋の明渡及び前記大平が百田義晴に昭和二十一年十一月二十一日爲した解除の意思表示が相手方に到達したであろう同月二十三日以降明渡に至る迄の一日金八百六十二円の割合による損害の賠償を求める。もし右損害賠償の請求にして理由がないとすれば予備的に前記割合の家賃相当額による損害の賠償を求める。」と述べ被控訴人等代理人において「被控訴人等は昭和二十三年十月二十一日百田義晴の死亡によつてその相続をした。右義晴は昭和十六年六、七月頃本件家屋に住み込んだ際家主の大平角太から直接にこれを賃借したものであり、仮りにそうでないにしても、大平の承諾を受けて賃借人の野口徳次郎から転借したものである。野口が本件家主で『ありたや』という屋号をかかげ陶磁器商を営み、昭和十六年六、七月頃同市中浜通に新店舗を買受け、同一屋号をかかげて同商売を始め、百田義晴がその頃本件家屋で野口の右屋号を存置したまま同一営業を開店し、義晴が野口徳次郎の甥である事実は認めるけれども、屋号が同一だからといつて、それだけで同一人の営業だとはいえないし、義晴は何も『ありたや』という屋号をその営業に使用したのではなく、ただ野口使用時代のものがそのまま残されていただけのことである。義晴の営業は野口のそれとは関係なく、もとよりその雇人ではなくて独立の経営である。家主大平はこのことを十分知つて、野口の義晴に対する転貸を承諾したのである。大平と野口間の賃貸借契約の内容が控訴人のいう通りであることは認める。なお、野口及び義晴が控訴人からその主張の日時頃解約の申入を受けたことは認めるけれども、控訴人のいう諸事情は解約についての正当の事由とするに足らない。他人が賃借居住していることを知りながらその家屋を買受けた場合にあつては、たとい買受人がその家屋を自ら使用する目的であつても、それだけでは正当の事由があるとはいえない。ましてや控訴人は本件家屋を店舗として商売を始めたいというのであり、本件家屋が別府市商店街の中心に位置し、店舗としては恰好の場所を占め、営業は繁昌するでもあろうけれど、それは専ら控訴人の事業欲の便宜に根源するものであるのに反し、被控訴人等の被相続人百田義晴にとつては本件家屋が営業のすなわち一家の生計のよりどころであつたばかりでなく唯一の居住の場所でもあつたのである。今にしては、夫であり父である義晴を失つた被控訴人等にとつて本件家屋はかけがえのない住家であり、更に長男である被控訴人晴幸において父のあとを継ぎ営業を続けて一家を支えなければならない生計のよりどころである。一方控訴人は前居住の別府市下野口の間借り二階を明渡しはしたものの現在は控訴代理人渡辺弁護士所有の同市浜町所在の一戸に居住し、その家族は妻と子供一人の僅か三名の小人数であり、別府市に引揚げ以來、居住にはさして事欠いでいないのである。自ら住む必要があるからといつて所有者でない他人居住の家屋を承知で買受け、その明渡の請求が法律上わけもなく許されるものとするならば単に金銭の力で、その力のある者は家屋を容易に買受けてその力のない借家人を無抵抗に追出すことができるわけである。かかる非合理を防止するために借家法は制定されたのである。仮りに控訴人の現時の事情が解約申入についての正当の事由に該当するとしても、右正当の事由の存否は解約申入の時を基準として決しなければならないものであり、且つ控訴人方の小人数の家族状態等からいつて、その正当の事由の及ぶ範囲は本件家屋の一部に限られるべきものである。」と述べた外は、いずれも原判決書当該摘示事実と同一であるから、ここにこれを引用する。
証拠として控訴代理人は甲第一乃至第十二号証第十三号証の一、二第十四号証第十五号証の一乃至五第十六号証を提出し、原審証人中井清一、当審証人河野櫻、藤丸秀夫、片野盛夫、原審並びに当審証人大平角太(当審の分は第一、二回)の各証言、当審における檢証及び控訴人本人尋問(第一、二回)の各結果を援用し、乙号証の成立を認め、被控訴人等代理人は乙第一号証の一乃至十五を提出し、原審証人野口徳次郎、当審証人片野盛夫、野口喜市、野口久恵、樋田茂太、林一郎、原審並びに当審証人百田初女(この時までは被控訴人として控訴を承継していなかつた。)の各証言当審における檢証及び被控訴人百田晴幸の本人尋問の各結果を援用し甲第八乃至第十四号証(第十三号証は一、二)の各成立を認め、その他の甲号証はいずれも不知と述べ、但し第三号証中郵便官署の内容証明部分の成立を認めた。
理由
本件家屋の前所有者は大平角太であつて、訴外野口徳次郎が昭和二年八月二十四日右家屋を大平から期間十年の約定で賃借し、右期間満了後は期間の定めなく引続き賃借してきた事実、被控訴人等の被相続人百田義晴が昭和十六年六、七月頃から本件家屋に居住し、昭和二十三年十月二十一日同人死亡後は相続人である被控訴人等において引続きこれに居住して現在に至つている事実、右大平が昭和二十一年十一月二十一日野口徳次郎に対し、野口において大平の承諾を受けないで義晴に転貸したとの理由で、本件家屋賃貸借解除の通告を爲した事実、控訴人が同年九月十三日大平から本件家屋を買受け、その間控訴人の妻の登記名義を経て昭和二十三年二月七日控訴人のため所有権取得登記を爲した事実及び控訴人が右昭和二十三年二月七日野口徳次郎及び百田義晴に対して本件家屋賃貸借解約の申入を爲した事実は、いずれも当事者間に爭がない。
控訴人は「野口徳次郎は右昭和二年八月二十四日本件家屋を賃借以来そこで『ありたや』という屋号をかかげて陶磁器商を営み、昭和十六年六、七月頃近くの同市中浜通に新店舗を買受け、同様『ありたや』という看板をかかげて同営業を始めたが、家主の大平としては野口の言明もあり、屋号の表示がそのまま存置されて商売が続けられていたりしたので、本件家屋における経営者は依然として野口であると信じ、野口の甥である右義晴は『ありたや』の番頭みたいな雇人に過ぎないものと思ひ込んでいた。それ故に野口が義晴に本件家屋を転貸したなどとは思いもよらず、從つて大平が右転貸を承諾するなどあり得ることではない。」といい、右屋号のこと及び義晴が野口徳次郎の甥である事実は被控訴人等の認めるところであるけれども、原審証人野口徳次郎当審証人野口喜市、野口久恵、原審並びに当審証人百田初女の各証言によれば、野口徳次郎において義晴に本件家屋を転貸するに当り、特に大平の承諾を受けた事実を認めることができる。当審における控訴人本人尋問の結果(第二回)及び原審並びに当審証人大平角太の証言(当審の分は第一、二回)中、右認定に反する部分は信用できないし、その他には転貸につき承諾がなかつたとの控訴人の前記主張事実を認めるに足る証拠はない。もつとも甲第五、六号証によれば、右事実に照応する記載があるけれども、これらは、本訴提起前警察署に提出した控訴人側の言分の書面に過ぎないから、これによつては右事実を肯定する由がない。
されば転貸につき承諾のないことを理由として野口に対し大平の爲した前記解除の意思表示は無効であり、承諾のない転貸借を原因とする控訴人の主張は失当である。
つぎに解約についての正当事由の存否につき檢討する。
控訴人が上海からの引揚で、本件家屋を自ら使用するために買受けたものである事実及び控訴人が引揚直後頃以来賃借居住していた別府市下野口の訴外国実茂喜方二階二室を明渡して昭和二十四年四月頃から同市浜町所在の控訴代理人渡辺弁護士所有の一戸に妻子二名と共に居住して今日に至つている事実は、被控訴人等の認めるところであり解約申入についての正当の事由に関する控訴人の前記事実の部摘示の主張事実中「被控訴人等は本件家屋を自ら使用する意思はなく他に移転先がある。」との点を除いたその余の事実は、原審証人中井清一、当審証人大平角太(第一、二回)藤丸秀夫、河野櫻の各証言及び当審における控訴人本人尋問の結果(第一回)によつてこれを認めることができるけれども、右摘記の事実については、これを認めるに足る証拠はない。もつとも当審第二回の控訴人本人尋問の結果によれば、本件家屋を中にはさみその両側の建物で百貨店を経営している訴外中村武雄から控訴人に対し本件家屋の買受け方の交渉があつた事実を認められないことはないが、右中村が被控訴人等と身分上近視関係にある野口喜市(野口徳次郎の長男)といわゆる親友であればとて中村の買受けの曉は、被控訴人等において同人に本件家屋を明渡す了解をしており、従つて本件家屋を自ら使用する意思がないものとは、到底推断し得るものではない。却つて当審における証人百田初女及び被控訴本人百田晴幸の供述によれば、被控訴人等としては本件家屋の外には行先とてなく、亡義晴のあとを継いで陶磁器商を続ける意向であり、現に継続している事実を認めることができる。右のような事実関係の下において果して正当の事由があると判定し得るであろうか。
引揚者は、それが引揚者であるという理由だけで十分同情されるべきであろう。当審の檢証の結果によれば、当時控訴人一家の住んでいた別府市下野口の二階二室における生活は、上海におけるかつての生活がおそらく豪勢ででもあつたであろうことに思いくらべて、あまりにもみじめである事実を認めるに難くなかつた。さりながら内地居住者とて戦争による苦難は決して少いとはいえない。その苦難に耐え、ようやく戦後の一応の平安に辿りついた被控訴人等一家にとつて、しかも支柱と頼んだ夫であり父である義晴を失つた今の不幸において、生計のよりどころと共に居住を根こそぎ奪われることは到底しのび得るところではあるまい。
しかして、他人の賃借居住中であることを知りながら該家屋を自ら使用する目的で買受けた者は、前所有者としては解消することのできなかつた賃貸借を、これまでは賃貸借の局外者であつた新所有者の有する事由に基いて、自己の利益のためにこれを解消してその明渡を求めようとするものであつて、家主の変動さえなければ害されることのなくてすんだ借家人の居住の安全を害する結果となるのであるから、右のような新家主の爲す解約申入の正当事由の存否についての判定を爲すに当つては、新家主側に存する自ら使用することを必要とする程度その他の事情の外、借家人の居住の安全が害されないかどうか、少くともその居住が危險にさらされることを防ぐため、新家主において社会的評價上納得のゆく処置を講じたかどうかを特に考慮にいれなければならないものといわなければならない。
控訴人が本件家屋を買受けるに当り、家主の大平をして賃借人の野口を通じて現住者の亡義晴につき、本件家屋買取り方の意思のないことを確めており、また買受け後同居でも甘受する旨の申出を爲し、まことに情誼厚い処置を講じていることは前認定の通りではあるが、前記檢証の結果により明かなように、その構造配置関係等からいつて、本件家屋は必ずしも同居に適しておらず、また義晴としては控訴人の引揚者としてのぎりぎりの困窮を十分知得してはいたであろうけれど何せ全くの未知未見である控訴人との同居であつてみれば、これはいうはやすいが行い難い事情があつたのでもあろうから、控訴人の同居の申出に應じなかつた義晴をさして責めるわけにもゆかないであろう。さすれば、控訴人の爲した解約の申入については、正当の事由がないものと断ぜざるを得ない。従つて右解約の申入は無効である。
よつて、被控訴人等に本件家屋占有の正当権限がないことを前提とする控訴人の本訴明渡及び損害賠償の請求は失当であつて、これを排斥した原判決は相当であるから、民事訴訟法第三百八十四條第八十九條第九十五條を適用して主文のように判決する。
(裁判長裁判官 小野謙次郎 裁判官 桑原國朝 裁判官 森田直記)